【陰部神経のドグマ】
陰部神経について、話をしましょう。
陰部神経は、pudendal nerve です。
しかし、これでは、陰部神経の説明をしたことになりませんね。
ただ、英語に言い換えただけです。
もっとも、世の中の説明には、意外と、こういうのが多いのですね。ただ、言い換えているだけ、ということが。
もちろん、ヴィトゲンシュタイン流にいえば、それが、言語の限界なのかもしれませんし、言語の正確さの保障内なのかもしれませんが、とにかく、普通に考えれば、何の意味もない言い換えに過ぎませんね。
でも、言い換えとはいっても、世界を牛耳っている言葉への言い換えですと、不思議と、それで説明されたような気になってしまうのは、これは、時代を超えた魔術のようなものなのかもしれませんね。気をつけないといけません。
陰部神経とは、実は、いわゆる「陰部神経」なのです。
少し、このままで、説明を進めさせていただきますが、いわゆる「陰部神経」は、S2−4をその中枢として発し、恥骨直腸筋および外肛門括約筋等の骨盤底筋群を支配する神経のことなのです。で、これは、骨盤底筋群を支配する神経というわけで、骨盤底に関する疾患にとって最重要な神経なのですが、実は、解剖学書を紐解くと、こんな陰部神経というのは、存在しないのですね。
わたしも、陰部神経の専門家になり初めには、困りました。陰部神経という名前で、この神経を研究し始めたのに、解剖学書では、自分がイメージするような陰部神経がないのですから。
でも、実は、このようなことは、時々あるのですね。
余談ですが、肝臓移植を研究していた人たちが、かつて、肝血流の研究をするときに利用する動脈で臍動脈と呼んで研究していたものが、実は、解剖学的には、少し異なる名前であって、その研究者が肝臓移植の専門家ではない人の中でその実験の説明をしたときに、他の偉い人たちから、「そんな名前の動脈は存在しない」と、批判されたり、とか、結構、あることなのですね。
話を戻して、この、いわゆる陰部神経の枝が分枝・融合しながら、アルコック管を貫き、個人差をもってアルコック管のさまざまなレベルで枝分かれし、坐骨直腸窩に至り、坐骨結節の内側を走行し外肛門括約筋にいたる、という具合に、走行していくのですが、そして、その神経を陰部神経とよびたいのですが、そして、実際、日本でも英文世界でも、そう呼んでいるのですが、実は、それ全体を陰部神経とは解剖学的にはいわないのですね。特に、外科の世界で、外肛門括約筋へいたる直接の神経を陰部神経と呼びたいのですが、それは、正確には、別の名前になっているのです。
でも、肛門括約筋を研究している立場としては、まず、末梢の肛門括約筋ありきで、そこに至る神経を全部陰部神経と呼んで、議論しないことには、議論しにくいのですね。そこで、なんとなく、細かな定義を知らない振りして、陰部神経と総称してしまっているのですが、将来、解剖学用語にのっとって、いつの間にか、自分たちが、最重要視しているものが、名前が消えて、悲しい思いや、それ以前の研究の積み重ねが、無視される時代が来るかもしれませんね。でも、陰部神経pudendal nerveという名前に、愛着もあるのです。それゆえに、解剖学的名称と少しずれているのですが、愛着を持つことがいけないのか、あるいは、最初に、臨床家でそう呼んだ人がただただ誤っただけなのか知りませんが、立場立場で、理に合わないことはあるのですね。
そして大事なことをひとつ。
骨盤底筋群は陰部神経に支配されているということは言葉としては正しいのです。なぜなら、私たちは、骨盤底筋群を支配するものを陰部神経と呼んでいるのですから。でも、肛門挙筋や恥骨直腸筋は骨盤底の腹腔側からも神経支配されているといわれていて、私たちが陰部神経と呼んでいる神経とはまた、別の枝なのですね。ですが、解剖学的には無視して呼ぶ「陰部神経」が肛門括約筋を支配するという、ドグマができてしまっているので、別の神経ルートで、肛門括約筋の一種の肛門挙筋や恥骨直腸筋が支配されているという論文は、どうしても、そして、なんとなく、無視されているのが現状で、そのような事実を知らない肛門外科医や大腸外科医が多いのではないかと思うのですが、知らないと思っているのは、私だけなのでしょうか。
なんだか、奥歯に物の挟まったような論旨の展開になんてしまいましたが、このようなことというのは、往々にしてあり、真実を見るためには、承知しておかなくてはいけないことなのですね。
【the web 大腸・肛門・骨盤底疾患スペシャル】