【22歳女性の肛門癌】
今日の外来に、22歳の女性の方が来ました。直腸癌の患者さんで、肛門を切除されてしまうという話を主治医から聞き、困って、母親と姉との3人でわたしの外来に来たのでした。
S市かから来ました。わたしは、ちょうど、翌週、S市で講演を依頼されていましたので、驚きましたが、彼女たちには、それは言いませんでした。
2年前から排便時に出血が見られていましたが、特に病院にいくことなく過ごしていたようです。そして、半年前の12月、近くの総合病院を受診したそうです。そのとき、肛門部の診察を受けたそうですが、便がたまっていて、よく見えなかったそうです。見えなかったのに痔ということで、薬をもらっただけのようでした。このとき、しっかりと診断を受けていれば、どうだったでしょうか。
とにかく、6ヵ月後の今年の5月にもう1度その、総合病院を受診されたそうです。そして、直腸癌と診断され、東京の総合病院に紹介されました。そこでも直腸癌という診断で、肛門部を含めた切除と、人工肛門(ストーマ)の必要を言われたそうです。
以前、その病院の患者で、やはりわたしのところにその後受診され手術を受けたかたがいましたので、わたしと新肛門の手術のことは、知っていました。患者さんが、若いので、後で後悔しないように、わたしのところの受診を勧められたとのことでした。しかし、本当は、わたしの元に来た今日の前日が手術予定日だったそうです。つまり、手術予定を、延ばしたということですね。
診察しますと、肛門周囲の皮膚を外側に少し牽引するだけで、腫瘍が肛門から外に出て来ました。直腸癌というよりは、肛門癌と言ったほうが良いくらいですね。今までの2つの病院でいずれも内視鏡診断とレントゲン診断で直腸癌と診断され、急いで手術を予定されていたようです。
でも、良く聞くと、少し手順が違うのですね。場合によっては間違っているのですね。
患者さんが若くて、病気が進んでいたものですから、急ぐ気持ちは、わかるのですが、そのために、まだ、どこでも組織診断が確認されていないのですね。
最初の病院では、組織検査はしたもので結果が出ないうちに東京の総合病院を紹介されました。東京の総合病院では、組織検査のための内視鏡検査をしたのが5日前で、まだ、組織診断がついていないのに、もう、本当だったら昨日切除されていたのです。
勿論、この病気は癌です。これは、見ただけ診断がつきます。
しかし、これを直腸癌と早合点してはいけませんね。
肛門に顔を出しているくらいの癌は、直腸癌が肛門に浸潤したものではなく、肛門癌が直腸に浸潤したものである可能性があります。そして、肛門癌であれば、その組織型は扁平上皮癌である可能性があるのです。勿論、これは頻度の少ない病院で、年間大腸癌を150ぐらい手術している病院でも、数年に1人ぐらいしかいません。
でも、わたしのように、かなり低い直腸癌や、肛門癌が集まる医者にとっては、よくある病気なのです。この1年で、4人の肛門癌の患者さんを治療しました。
でも、そんなこまかいことにこだわって、治療に反映しない細かいことだったら、意味の無いことではないのですか。そう、質問するかもしれませんね。
でも、扁平上皮癌の肛門癌は、違うのです。治療にパラダイムシフトのおきた、われわれの中では、有名な疾患なのです。
まず、肛門癌を説明しましょう。
大腸癌研究会が会員施設からアンケートをうけとった結果によると、1540例の肛門悪性腫瘍のうち扁平上皮癌は226例(14.7%)であった。その、平均年齢は、63.4歳で、男性67例(30.7%)、女性151例(69.3%)と女性に多く、1対2.25であったそうです。
見た目の形は、2型といってありふれた直腸癌と同じかたちものが(34.2%)をしめ、見た目では、普通の直腸癌と区別がつきにくいようです。外国の文献(Frisch M)によるとhuman papiloma virus(HPV)の感染を伴うといわれています。
そして、1980年ごろから、手術療法と放射線療法が、同等の治療効果といわれてきています。つまり、ストーマがいらないだけ、放射線療法のほうが、まし、ということです。
欧米でも扁平上皮癌の肛門癌は、以前は、肛門を切除して、人工肛門をつける手術をしていました。手術の治療成績は、比較的良好でしたが、(5年生存率が40〜75%)、人工肛門という問題が残されていました。もともと扁平上皮癌は放射線に感受性が高いので(よく利くという事です)、放射線と化学療法を組み合わせた治療法が開発されました。1974年にNigroという医者が6例に手術をしないで、放射線と化学療法を組み合わせて治療しました。そして、5例で癌が消失したと報告しました。この報告を契機に、治療の流れは、一気に、手術から放射線を中心とした治療に変わっていったのです。これが、治療のパラダイムシフトです。厳密な意味では、手術と放射線療法との優劣はつけられていません。それは、無作為に患者さんを、手術をする人と放射線治療をする人との2つの群にわけて優劣を比較する、いわゆる「前向き無作為試験」が行われていないということです。なぜ、この調査が行われていないかといえば、片方は、人工肛門という状態になり、片方は、肛門がのこるという、調査をしないでも一目瞭然の違いがあるために、延命に関してほとんど同様の結果が得られているのなら、少しの差は、問題にならないという、決定的な事情があるからです。それで、欧米では珍しく、無作為試験で結果を出さなくても、治療法のパラダイムシフトが起きてしまったのです。
つまり、ここから、医師と医学生が教訓を得られるとすれば、治療法の選択は、厳密な試験で数学的に優位性を証明されたから、行われるのではなく、そんな学者が好む差よりも、もっとそれを超えた、ある意味では「人間的な事情」で、決まっていく、ということです。この、スペシャルシリーズでは述べませんが、乳がんにおいて、大きな手術、かつては「標準」手術とよばれたものから、胸筋温存手術にかわり、現在の乳房温存手術に変わった事情と、似ているところがあります。データは、後づけであり、選択の最大の因子は、「人間的事情」だったのです。患者さんの人間的事情です。でも、その陰には「外科医の定年」という人間的事情も絡んでパラダイムシフトは進んだのですが、それはまた別の機会にお話ししますね。
わたしのもとに来る前の2つの病院では、組織型を確かめることなく、手術をされてしまいそうでしたが、この女性は、もしかすると扁平上皮癌で、ストーマをしない治療を選択できるかもしれないのです。
勿論、それは、病理検査結果を待っての話。
今日は、ここまで。
【the web 大腸・肛門・骨盤底疾患スペシャル】